ミルティンくんと3匹の鬼
わが家のミルティンくんことS志も、来月から小学生。
「自分のことは自分でやる」というのが、さいきんS志のテーマです。
もう当たり前にできてなきゃいけないのですが、今までは、つい私が先にやっちゃうことが多くて。
靴なんかひとりで履けるのに、つい、朝急いでるときは私が履かせちゃったり。まだまだ、赤ちゃん〜幼児を育ててきた感覚に乗っかってしまい、「世話ぐせ」みたいなものが抜けないのですよね。うう。反省。
子どもの卒園は、私にとっては「世話ぐせ」からの卒園。
なのだなあ、と思うさいきんです。
そんな意味で、過渡期の3月。
おとといの夜、おふろの時間のことです。
うちではこのごろ、私が先におふろに入って、洗い終わったところでリビングのS志を呼ぶ、という時間差おふろが採択されております。夕ごはんから速攻でおふろに入ろうとすると、S志が「ちょっとはあそびたいよ〜」とごねるため、クッション時間をつくる方法です。
顔を洗いながらS志を呼ぶと、
なかなか来ない。
「S志ーー!」
「ちょっとまってってば!」
おふろ場のドアをバーンと開けて入ってきたS志は、なんかフキゲン。
そして仁王立ちになり、すわった目で一点を見つめている。
うむ、コヤツ、眠くなっておるな……
眠くなるとぐずり出すのは赤ちゃんの習性ですが、
6歳児も、こういうとこはわりと変わらないのよね。
そして、こういうとき、ぐずりの矛先が向けられるのはだいたい私なのです。
「ママ、S志のぱんつとぱじゃま、そこのいすにちゃんと持ってきてくれてるの」
着替えを、おふろ場の外の脱衣スペースに出したかどうかを問い詰めようとしておる。その顔は、障子のホコリを指でサッとする姑キャラのごとし。
「あっ、出すの忘れてたわ。ごめんごめん」
「だめでしょ。いま、だしてきてっ!」
ぐずりが、いびりモードに移行してきた。
私は、キリッとした顔(表情筋イメージは黒木メイサ)をつくって言いました。
「S志のパンツなんだから、S志が出すものでしょ、本当は」
「……」
「ほんとはS志が自分でやることなのに、ママが親切でやってあげてたんじゃん。もうひとりでできるんだから、自分で出してきなよ」
すると、S志はたちまちハニワ状にフリーズ。目に、じわあ……。
そして、ハニワの拳をぎゅっとして叫びました。
「できないのっ!!」
「なんで、できないの?」
「S志のなかにおにがいるから、できないの!!」
*****
解説しよう!
先月、節分があった! S志の保育園における節分とは、豆まきの前に、子どもたちひとりひとりに「自分のなかにいる鬼」を考えさせ、その鬼に向かって豆をまくというイベントである! 「なきむしおに」「いばりんぼうおに」など、子どもによっていろんな鬼があった! ちなみにS志はそのとき「くいしんぼうおに」を選んでいた(連絡帳情報)!
*****
ここで鬼を出してくるとは思わなんだ。予想外の発言に目が泳ぐ私。でも、がんばってメイサ顔(しつこいようですがイメージです)を続けました。
「どんな鬼がいるの」
「3びきのおに」
なにっ。しかも3匹いる。
がぜん強まった昔ばなし的要素にメイサ顔がひくひくしましたが、本人はヒックヒックしながら泣いています。ちゃかすことなど許されない真剣ムードなのです。
「……1匹目の鬼はなに鬼なの」
「……くいしんぼうおに……」
「2匹目は」
「……わがままおに……」
「じゃあ、3匹目は」
「うっうっ」
「3匹目は?」
「ひとりで、ぱんつだせないおに……」
「……」
「……」
目にいっぱい涙をためて真剣に私を見つめるS志。
しかし私は、顔を見られないようとっさに下を向くしかありませんでした。
まずい。「ひとりでぱんつだせないおに」がじわじわくる……!
「ひとりでぱんつだせない」というどうでもいい弱さを割りあてられた悲運の鬼。仲間にはバカにされがち。「3兄弟のなかでも最弱……」「子ども寄生鬼の面汚しよ……」。それでもひとりでぱんつだせないおには誇りを失わない。
手に持ったシャワーを凝視して笑いを耐えるも、寄せては返す波のようにおそってくるさまざまな想像。そうだ、「車に酔ったときはツンドラの風景を想像すると良い」って誰か言ってた。ツンドラを思い浮かべよう。吹きすさぶ寒風とダイヤモンドダストを……
しばしふろ場に、シャワーの音だけが響きました。
やっと(実際は10秒くらい)私は落ち着きを取り戻し、メイサ顔を復活させることに成功。
「ひとりでぱんつだせないおにのせいで、S志はパンツ出せないんだ」
「うっうっ」
「じゃあいつか退治したら、できるよね」
「(コクリ)」
その後、S志はあっというまに機嫌を直し、パンツもパジャマも自分で出して別人のようにチャッチャと身支度しておりましたよ。ふうう〜。
自分のわがままはわかっているけど、できないときってある。
わかってるのも本音だけど、気持ちはどうしてもやりたくない。
S志の場合は、眠いせいのぐずぐずが気持ちをひっぱってたようですが、私も、自分の非をどうしても認めたくないときとか、「そっちだっていつもやってないじゃん」みたいな意地とか(夫に対しての場合多し)、よくあるなあ。
そんな弱いほうの気持ちを、子ども心は「鬼」というかたちで分けようとしたのかな。
さて、そんな騒ぎもおさまって。
歯を磨きおわってテレビを見ていると、ボリショイ・バレエ団監督襲撃事件の犯人が捕まったというニュース。お、と身を乗り出したそこへ、すっかり鬼と手を切ったS志がキリッとしてやってきました。
「ママ、もうねるじかんだよ。テレビけしてね!」
「ヤダヤダヤダ! テレビ消せない! だって、ママのなかに、『テレビみたくてけせないおに』がいるんだもん!!」
とは、
言いませんでした……