よくある結婚式の風景で、
「小さいころは、パパと結婚するって言ってたのになあ……。うっ」
っていうの、ありますね。
大人になると忘れてしまうけど、誰にでも小さなころがある。
お父さんやお母さんに抱っこされるのが好きで、離れるのがいやで大泣きしたり。抱っこで髪を洗ってもらったり。見上げて、歯を磨いてもらったり。頭をなでてもらったり……。
今、6歳児と暮らしていると、
「ああ、S志もいつか、今のことを忘れてしまうんだなあ」
と、よく思います。
記憶としては残っていて、いつか、やってもらったことや一緒だった風景を思い出し、いろんなことを思ってくれることはあるでしょう。だけど、私や夫への気持ちや感覚が、今のとおりに蘇ることはないのです。
小さなころの気持ちを忘れてしまうのは、
寂しくもあるけど、成長でもあります。
でも、お父さんやお母さんは、忘れません。
だから、少しずつ、少しずつ、子どもに置いて行かれていく。
ときどき、そういうふうに感じます。
……で、
何が言いたいかといいますとね、
ホント、今、S志、パパとママのこと好きすぎ。
なんですよ(親バカか)。
いやそれが、自分の小さいころの気持ちをすっかり忘れてた身としては、「まさか、ここまでとは!」と目がクワッとなってしまうほどなのであります。
「ママ!」
「なに?」
「すきだからよんでみた」
「マーマ」
「なーに」
「すーき」
「ママ!」
「なに?」
「あー! すき!」
以上のようなやりとりが1日10回くらいある。
これ、たぶん子どもがいるどこのお家でも似たようなものなのではないでしょうか。
「うれしいけど、どうせ今だけなんだろうな」という寂しさと、「このまま続いてマザコンになったらどうしよう」という心配がせめぎあう非常に複雑な心境になります。ちなみに今のところ、3:7でマザコンになる将来を選びたい気持ちです(脳内会議調べ)。
そんな、S志と私のある冬の月曜日。
もうすぐ姉の出産なので都内に来ている母が、うちに遊びに来ました。
S志は、矢を射るまねをしては母に矢(指)を「ぷいーん」と差し、
「なんかいやっても、矢はバーバちゃんにあたり、ママにはあたらないのでした」
(バーバちゃん=母)
とよくわからない方法で順調にママびいきを発揮しておりました。
母は、姉の子ども用に手縫いしたおくるみ(赤ちゃんを包む上掛け的なもの)を持ってきていました。その流れから、S志が産まれたときに同じように縫ってもらったおくるみの話に。押し入れにしまってあったのを出してきて、
「これだよ、これ〜! よく使ったな!」
「我ながら、よく縫ったなーと思うわー」
「これ、S志があかちゃんのときのなの?」
とひと盛り上がり。
3歳くらいまではお昼寝とかに大活躍していましたが、最近はしまいっぱなしでした。なのでS志の記憶にあまり残ってなかったんですね。
「これでくるくるまいて、えーんえーんってないたりしてたの」
「ちっちゃいとき、これかけて、おひるねしてたんだねえ」
赤子時代に思いを馳せるその顔は、なんか得意げ。
子どもなりに、ここまで大きくなった自分への誇りみたいなのがあるんだろうか。
そのとき、母とS志が、こんなことを話し出しました。
「S志も大きくなって子どもが産まれたら、おくるみ縫ってあげるね」
「うん! やったー」
「うふふ」
「あ、でもそのまえに、けっこんしなくちゃいけないね」
「そうだねえ。S志はどんな人と結婚するのかしら」
「うーん。だれにしようかなあ」
「だれにしようかな」部分のナチュラルな上から目線に、いつもなら胸のなかでツッコミを入れたくなるところでしたが。
そのとき、私はぜんぜん違うことを考えておりました。
「あのセリフ」を、S志の口から聞きたくなったのです。
今ならぜったい言ってくれるはず。それで、あと何十年後かに「昔は、こんなこといってたんだよ」って話してみたい。今のことちょっと思い出してほしい。お嫁さんに薄い目で眺められてもいいじゃないか。
うむ、聞いてみよう!
「S志は、ママと結婚するんだよねっ?」
あの、旅先で、記念コイン買ったりするじゃないですか。
「ママと結婚する!」を聞くことは、S志との蜜月を思い出す記念コインみたいなもので、私は、「とりあえず、言ってもらっとくか」程度の軽いノリだったのです。ええ。
S志はにこにこして、私を見ていました。
そして、口を開きました。
「あのさ」
「うん」
「S志がおとなになったときさ」
「うんうん」
「ママ、おばあさんじゃん?」
「……」
「だから、だめだとおもうの」
申し訳なさそうに目を泳がせながらほほえむS志。
もののわかった上司が、部下の企画をやさしくボツにするときのような気づかいを感じました。
なんて返事したのか覚えてないのですが、
気づいたらトイレにいました(いえ、泣いてないです)。
「大きくなったらパパ(ママ)と結婚する」。
この言葉を言われたすべてのお父さん・お母さんに、今、「おめでとう!」と、物陰から祝福を送りたいきもちです。
きっとうちにはうちの記念コインがあるはず。
というか、今は分からなくても、あとから記憶のなかで浮き出てくるのかもしれないな。
そんな気がしつつ、今を、楽しもうと、思います〜(涙をふいて)。