ホワイトデー。
水曜日、そのことに気づいた私は焦りました。
そうだ、Y美ちゃんにお返ししなきゃ。
Y美ちゃんは、保育園でいちばんの仲良し。先月のバレンタインデーは、わざわざお迎えの時間に合わせて待っていてくれ、手渡しでS志にチョコレートをくれました。S志は、
「おーY美! さんきゅなっ!」
とか言ってキザなおっさんみたいな態度だったのですが、帰り道では
「えへへ。Y美ちゃんチョコくれたの〜」
といつもの顔でデレデレしていました。Y美ちゃんの前だと、なぜかキザなおっさん化するんですよねー。それを見ていると、男の子って、母に見せる顔と彼女に見せる顔が別人なんだなとしみじみしてしまう。
今までも毎年チョコレートをくれて、「S志とけっこんする」と言ってくれているY美ちゃん。そのY美ちゃん、なんと来月からフランスに引っ越してしまうのです。
お父さんの仕事の都合で、3年間。
3年後には帰国して、S志と同じ小学校に通う予定です。
そのことを知らされたときはすごく寂しかったのですが、これはすごい少女漫画的展開ではないですか。
大人の事情で引き裂かれた、幼なじみの2人。
「忘れないでね……!」「おれ、ぜったい待ってるからー!」
Y美を乗せたトラックが、みるみる小さくなっていく。それでも追いかけるS志。つまづいて転ぶ(お約束として)。道路にうずくまり、いつまでも泣くS志。
3年後、戻ってきた彼女は見違えるように美しくなって……
まさかS志が、美杉カイくん的ポジになるとは。
※美杉カイくん=あさぎり夕先生の『アイBOY』参照
はい妄想おわり。
明日がホワイトデーと気づいたものの、問題がありました。
その時点で、すでに夜8時だったのです。
ちょいめんどくさい。
「週末につくって、週明け渡しでもいいか」。私のなかのずぼら天使がささやきました。
いや、でも相手は子どもです。ピンクとリボンとレースとディズニーの「眠りの森の美女」が大好きな乙女なのです(Y美ママ情報)。
「あした、S志、忘れてないヨネ♪」
今ごろ、出窓で星とかながめながら、夢みているかも。ネグリジェで。
(少女漫画メガネしつこく装着中)
そんな気持ちを裏切るわけにはいかない。
ちょうど、家にあそびに来ていた母とともにキッチンを片づけ、
ベタですがクッキーをつくることにしました。
「S志、Y美ちゃんにクッキーつくろうよ」
「え? Y美に? ああ〜そうね、いいけど?」
相変わらずY美ちゃんのことになると、眉をくいくいあげてキザなおっさん化するS志。態度はそんなですが、いざつくりはじめると、真剣です。
粉をいっしょうけんめい混ぜ、めんぼうでのばし、型抜きをして、丸いクッキーに顔をつけるときも
「S志、顔やる! かわいいのやる!」
と、笑顔一切なしで楊子(目鼻をつけるときに使う)を握っていました。
必死に力を入れすぎて手がすべり、クッキーに描いた口が裂けちゃって「あっ」と泣きそうになったりもしましたが、涙こらえて描いていました。
今までは、失敗するとぶーたれてやめちゃうことも多かったのに。笑った口をうまく描こうと、ていねいにていねいに楊子を動かしています。
ぜんぶ天板に並べ終わると、
「おー、かわいいのできたじゃん?」
キザなおっさん復活。このキャラなんなんだ。
オーブンに入れてタイマーをセットすれば、あとは焼き上がりを待つだけ。
それから、私は仕事部屋にこもり、S志と母はおふろに入ることに。
仕事をしている部屋にも、クッキーの焼けるいいにおいがします。そろそろ焼けたかな。今書いてるメールが終わったら、見に行こう……
と思いつつ10分ほど経ったでしょうか。
キイ……と仕事部屋のドアが開いて、パジャマ姿のS志が入ってきました。やけに静かに近づいてきます。なにやら顔も静かです。いつものS志でもない、キザなおっさんでもない、地蔵のような顔です。
「どうしたの」
「あのね……みんなで、いっしょうけんめいつくったクッキーはね……」
「あ、どうだった?」
「あのね……バーバちゃんがちょっと気をぬいたすきにね……」
「まさか……」
「こげちゃったそうなの」
「ええ!」
あわててキッチンに行って、
「ああ!」
けっこうかわいいけど
母(バーバちゃん)が、
「焦げてるけど、食べてみ? けっこうイケルよ!」
と、クッキーを焦がした人にありがちな主張を口にしながら、黒いものをかじっていました。
「ほら、おいしいよ!」
「S志はやめとく……」
S志がとくにがんばってた笑顔クッキー(↓)も、なつかしのガングロギャル並みの黒さ。そうか、S志のさっきの地蔵顔の原因はこれか……
いや、顔はほんとかわいいけど
どっちかというと今のS志の顔はこれに近い
しかしどうしよう。
時間はすでに9時をまわりそうだけど、焼き直すしかないのか。
でも、S志も寝る時間だしなあ……
やはり、今日はあきらめて週明け渡しという手も……
ずぼら天使がささやき始めたそのとき、
「ブブーッ」と携帯のメール着信バイブレーションが響きました。
あ、Y美ママだ。来週予定している、お別れ会の連絡メールでした。
「明日から19日まで、入学手続きでフランスに行ってきます^^ お別れ会までには帰国するからね!」
あ、そうなんだ。
明日から19日まで……
ん? 明日から?
つまり、Y美ちゃんは明日のホワイトデー当日、登園しない!!
クッキーは、今日つくらなくてもいい!!
「み、みんな! うれしいようなうれしくないようなお知らせがあります!」
うれしいようなうれしくないような気持ちで、S志のほうを振り返ると、
床にしいた座布団につっぷして寝ていました。
力尽きたのか。凹んだのか……
S志のホワイトデーはてんやわんやした上、まさかの尻すぼみとなりました。やれやれ。
しかし、Y美ママのメールの「入学手続き」の字に、実感が湧いてきましたよ。
ほんとに行っちゃうんだな。
フランスは恋愛大国だそうだから、現地彼氏ができて、S志は過去の男になっちゃうのかもなあ。
子どもの3年は、長いよね。
よし、来週のお別れ会で、ちゃんとリベンジを果たそう!
今回のほろ苦クッキーは、私が食べようと思います。
キザなおっさん、すまん。もぐもぐ。
※クッキーはなかしましほさんの『まいにち食べたい”ごはんのような”クッキーとビスケットの本』のレシピでした。