※S志画ウルトラマンタロウ
2012年。新年となりました。
あけましておめでとうございます。
佳いことがたくさん起きる年になりますように!
……
えっと、新年1発目からネタがないです。
ど、どうしようどうしよう。
今わたしは、長野県南部M町におります。実家です。
元旦はおせちを食べてニューイヤー駅伝。
2日は箱根駅伝(山の神!)。午後は初売り。
3日も箱根駅伝。午後は昼寝。
うう。スペシャル感ゼロのお正月でした。
でも実家のコタツでダラダラすると、「正月が来た!」って気がするんですよねー。へへへ。
そういえば、この「正月が来た感」を感じる瞬間って、人によって違うんですよね。
最近、そんな違いをめぐる夫婦ケンカの話をよく聞きます。
結婚当初はどちらかの実家で年越しをしていた人たちも、数年経つと「そろそろ二人きりで年越ししてみよう」となりますね。
すると、お互いが持つ「年越しルール」「お正月ルール」を譲れない。
たとえば、お雑煮。
具は何を入れるのか。
モチは焼いてから入れるのか、そのまま煮るのか。
生まれた土地が違う二人に、お雑煮・おせち問題が持ち上がる。
それだけではありません。
「ぜったい二年参り」派と「大晦日は紅白でしょ!」派の戦い。
「ざるそば」派と「かけそば」派の、年越しそば論争。
「こしあん」か「つぶあん」かをめぐって、正月2日目おしるこ危機。
私の知人で、「コタツで箱根駅伝見ないと正月が来た気がしない」と奥さん(コタツ撲滅派)の反対を押し切ってコタツを購入し、大晦日に大ゲンカ。そのまま家を飛び出し、勢いでタクシーの運転手に「どこでもいいから行ってください」と言い捨てたら、羽田空港に置いてかれたという大晦日伝説の持ち主がいます。
着のみ着のままでビュービュー風に吹かれ、すでに閉鎖されたまっくらな滑走路を眺めながら、
「俺なにしてんだろ」
と思い、家に帰ったそうです。
そこまではいかがなものかと思いつつも、それぞれの年越しルール・お正月ルールは大切なものです。
どこをゆずって、どこを共有するのか。
二人で新しいルールをつくってみてもいい。
それが「家族」をつくるっていうことなのかもしれないな、と、お正月の夫婦ゲンカの話を聞くたびに思います。
かくいう私にも、ありまして。
大晦日、帰省する車のなかで、夫がつぶやいておりました。
「今夜も、M子家の奇習が行われるのか」
私の実家では、「紅白歌合戦」が終わり、「ゆく年くる年」が始まると同時にそばがゆであがります。談笑しながらも、誰もが時計の秒針から目を離さない。そして、針が午前0時を指すその瞬間、
「よしッ、今だ!」
ズズーーーッ!
M子家の年越しルール、それは、「年越しそばは、年越す瞬間にすすること」。
何を隠そう、結婚するまで、日本全国共通のルールだと思ってました。小さな頃から、「今この瞬間、みんながそばをすすっているのだ」と感慨にふけっていたんですよ。
ダンナに「それ誰のギャグ?」と真顔で言われたときですら、「あ、この人は都会育ちだから伝統行事にうといのね」と、そばをすすりながら薄目でほほえんでました。
今年はうっかり秒針チェック忘れたのですが、それでも「0:00」の瞬間にはそばを口に入れてたので、「ああ、今年もお正月が来た!」というよろこびが沸き上がってきましたよ。
やっぱり、年越しはこうでねえと。
「これをやらずに正月過ごしたくない」という衝動は、正しいとか間違ってるとかじゃないんですよね。子どもの頃から体に染みついた、極端にいえば遺伝子に近い効力があるというか。
ちなみに、わが家の年越しそば論争は決着いまだつきません。
わが家のミルティンくんことS志には、いずれ誰かに「年越しそばは、年越す瞬間にすするもんだろ!」と熱弁していただきたいものなのですけどもねえ。へへへ。
あっ、お正月のダラダラのいいわけから、けっこう長々書いてしまいました。
毎回どうでもいい話で恐縮です。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします!